英語は小学生から学ぶのよ! |
今、中学生以上のあなたは、中1の始めから英語を学んだと思います。
逆に、古文は、中2、中3になるにつれ、国語の授業の中に、少しずつ取り入れられていきましたよね。
まるで…、「金魚のフン」のように!Σ( ̄⊥ ̄lll)
もうすぐ、小学生での「英語」の授業が必修化されます。
その情勢に、疑問を投げかける人も少なくないでしょう。
実際、ベストセラーとなった「国家の品格」にも、「英語の教育よりも国語に力を入れるべきだ」ということが、緻密に書いてあります。
でも、なぜ「英語」が早期に学習される必要があるのでしょうか?
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英語の早期学習がなぜ必要なのか。 |
第1に、国際化の進行にあると思います。
たとえば、町に出て、看板を見たとき、あまりにもアルファベット表記が多いことに気づくと思います。英語を日常的に目にする時代となっているのです。単に、「日本語もできないのに…」という状況ではないのです。あふれ返っている英語関連の情報に、普段から接している小学生の時から、英語を学ぶべきだというのが、時代の波にのった風潮なのです。
第2に、現代社会の風潮です。
英語を書く・読むことができても、話すことができない人が多いという現状。書く・読むことができれば、受験英語に対応できます。でも、実際、国際社会で自分のものとして使うことができるか、という点には疑問が残りますよね。外国人を見ただけで、気後れしてしまう人も少なくありません。
もし英語を、小学生、いや、物心つく前から学んでいるならば、まるで海を見たことがない子のように、英語に恐れを抱かなくて済むのではないでしょうか。
…そうした理由で、幼稚園時から、英才教育として、英語を学ばせる親が増えてきました。英語を取り入れる幼稚園や塾も出てきました。そのような現代社会に対応すべく、日本の教育指針が変わりつつあるのです。
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「英語」は必要! 「古文」は不必要?! |
「英語」の必要性から考えれば、「古文」の早期学習は必要ではありませんね。古文は「国際化」にも対応していないし、「受験古文」だけ分かっていれば、すべてうまくいくんですもの。
でも、それを「古文は必要じゃない」と、とらえてしまう論理錯誤にこそ、大きな落とし穴があるのです!
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「国際社会」であるからこその 「古文」の必要性 |
現在、国際化が進み、さまざまな国の人が訪れたり、また外国に行ったりするようになりました。そんな中で、スペイン語は話せなくても「英語」なら…、日本語は話せないけど「英語」なら……といった、第2外国語としての「英語」の役割は、もはや必然のものとなっています。
たしかに、「日本語もろくに話せないのに、英語の勉強なんて…」という世の批判も一理あります。ですが、実際問題、英語は全世界共通の「第2外国語」としての地位を築きつつある、そして、国際社会に生きる我々は、英語を学ぶことでより世界が広げられる、というのも事実です。
ここで間違えてほしくないのが、英語の役割です。
コミュニケーション・ツールとしての「英語」の役割です。
たしかに英語は、コミュニケーション技術としては必要不可欠です。
でも、じゃあ英語ができれば、異民族との交流が可能なのでしょうか?
ことばの違う国・民族間のコミュニケーションは、単に、ことばの違いだけを念頭に置いてはいけません。「漢字の起源」でも学んだように、文字が違うということは、文化が違うのです。文明のルーツが異なるのです。
それを考慮しないで、相手のことを理解できるでしょうか。
自分のことを、どれだけ理解してもらえるでしょうか?
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「国際交流」とは、コミュニケーション・ツールとしての英語(その他の言語・メディア)を使って、異民族間の文化・価値観を理解していくことです。
相手の価値基準を知るには、その元となった文化的背景を探らなければ、真の理解は得られないでしょう。
自分の価値観・個性を相手に理解してもらうためには、自分自身の生活、育った環境、そしてその元になった文化的背景を見直し、アピールできなければ、真にあなたを理解してもらうことはできません!
でも、実際、あなたはどれだけ、自分自身の価値観・個性を理解しているでしょうか?外国の人々に、日本人としてのあなたを、誇り高くアピールできているでしょうか?
私は、このような「国際社会」であるからこそ、日本人としての「プライド」をきちんと学ばなければならないと思います。
私たちが受け継いできたものを。そして消えていったものたちを……。
そして、それを最も深く、的確に学ぶことができるのは、「古典」の学習にほかならないのです。
コミュニケーション・ツールとして学ぶのではありません。
民族間の文化・価値観の理解のための基礎として学ぶのです。
そこを間違えてしまうから、「英語は必要」「古文は必要ない」という短絡的な発想しか生まれてこないのです。
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今までの観点のズレが、「国語力」の成長を阻害していたことに
気づいてください! (→国語力のヒケツ2)
相手を知ることが、自分を理解することに「つながる」こと、価値観を
知ることが文化理解に「つながる」ことに気づいてください!
(→国語力のヒケツ5)
この2つのことに気づけば、なぜ今まで学校で、必要もなさそうなものを多く学ばなければならなかったかを、悟ることになるでしょう。これは、教えられて理解できるものではありません。上から「しろ!」と言われて、従ってるだけでは、いっこうに気づかないことなのです。
あなたが、あなた自身が気づこうとしないと!
そして、その明確な方向性を持つだけで、おもしろいほど「国語力」がつき、成績が伸びていくことになるでしょう!
では、実際どうすれば難解な「古文」をマスターできるのでしょうか?
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「英語」の必要性から「古文」を学ぶ! |
上に見てきたように、私たちは「英語」と「古文」を混同してしまいがちです。
なぜなら、どちらも同じ「語学」だから・・・。
「英語」と「古文」を学ぶ意義は異なります。
でも、同じ「語学」の「英語」と「古文」であるなら、学び方は同じでもよいのではありませんか?
そこで…
「英語」の必要性から、「古文」で取り入れられそうな勉強法を模索してみたいと思います。
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英語が早期に学習を始める必要があるのは、日常生活でそれを使う機会にめぐまれないからだと思います。
もし、小さい頃から、家や幼稚園で、すべて英語で話していれば、英語は当たり前のように身についてきますよね。
小さい頃から海へ連れていってもらう子ほど、怖がらずに泳げるのと一緒!
感覚的に身についていくのです。
じゃあ、年がいってから英語をペラペラに話せるようになるのは無理なのでしょうか?
いいえ。
語学留学を例にとってもわかりますが、ずっと日常その言葉ばかりに触れる機会を作ってやれば、たとえ年を重ねた段階でも、きっとすぐに、ペラペラに話せるようになるでしょう。
つまり…
日常生活で、それを使う機会を作っていけばいいのです。
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でも、「古文」は現在使ってない言葉…。
実際、英語と同じように留学(タイムスリップ)するわけにもいきません。
だから、古文は、学校の中でしか勉強できず、しかも、1週間に2〜3時間しか勉強しないので、次の授業ではすっかり忘れてしまい、逆に先生は、続きから教えていこうとするので、結局何がなんだか分からなくなってしまって、授業についていけなくなるのです。。。
あなたは、このことが分かって、「ふ〜ん、やっぱり無理か」と諦めますか?
そのことをふまえた上で、いかに古文を日常に取り入れていくかを模索しますか?
ここが、力のつく人と、つかない人との違いです。
ここに観点を持って行く力こそが、「国語力」なのです!
1.古文で「日記」を書く
私が高校時代にしてたのは、「古文で日記を書く」ことです。
さらに、文芸部に入っていたので、古文で「ポエム」を書いたり、和歌を作ったり、漢詩を作ったりもしました。
なんて、シチメンドウなことをΣ( ̄□ ̄||)…と思われるかもしれませんが、私にはそれを楽しくしてくれる仲間がいました。
「ここは文法的におかしい」と見てくれる先生がいました。
楽しんで、それをしていたのです(●^ー^●)。(→国語力のヒケツ10)
2.愛読書・サイトを見つける
私が『源氏物語』に惹かれたきっかけは、友人の所で読んだ『あさきゆめみし』というマンガです。とてもキレーなイラストと情熱的な展開に、何度も読みふけりました。また、『なんて素敵にジャパネスク』に始まる、氷室冴子著のコバルト・シリーズも、古文の世界にのめり込むきっかけとなったのです。
今では、『GENJI』や、『桃尻語訳〜枕草子』、『源氏物語が面白いほどわかる本』など、昔の日本を探るきっかけを与えてくれるマンガ・本が数多くあります。そんな良書を毎日読み続けるならば、たとえ現代日本に住んでいたとしても、古典の世界が、あなたの中で日常化するかもしれませんね。
また、自分のブログ等を作って、調べたことをアウトプットしていったり、良サイトを見つけ、毎日読む習慣をつけていくことも、今どきの学習法ですね!
あいのブログも、そんな思いから、4コママンガを取り入れたりしながら、あなたの楽しい日常のひとつになればと思って書いています。ヒマな時に、ぜひ寄ってみてくださいね! (→あいのブログ「国語力」キラキラ)
「古文を学ぶ」のは、中1からでも早くはないし、小学生からでも早過ぎるわけではありません。逆に、大人になってから学んだのでも遅くはないのです。
ただ、高校3年間で、受験勉強の一環として学ぶならば、成績はもちろんのこと、「国際交流」の基礎も身につき、「国語力」も上がる、一石三鳥である、ということを、最後に強調しておきたいと思います。
↓
偏差値40を脱退するための第1歩
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